2016年 3月16日〜31日
3月16日 巴〔犬・未出〕

 ミハイルは呆れたが、おれのかわりに用件を言ってくれた。
 おれはゲートを通り、中に入ることが出来た。

 高級ホテルのような大理石の床。麗しい床を見て歩いていると、ミハイルが、

「ここでは、きみは犬じゃない。会員なんだ。ビクビクするな」

(そうはいいましても)

 顔をあげることができない。あちこちにハンサムがたむろっている。そこから好奇の目がじろじろ見ている。

(なんか息苦しくなってきた)

「やあ、ミハイル!」

 ついにひとりが近づいた。まずい。アレがはじまる。


3月17日 巴〔犬・未出〕

 中学英語の教科書に出てくるあのイベントがはじまってしまう。

『やあ、ボブ』

『キャサリン、紹介するよ。マイクだ』

『はじめまして、キャサリン。あんた前の彼女より老けてるね』

『はじめまして、マイク。ボブから聞いてるわ。幼女アニメが好きなんですって?』

『HAHAHA』

 外人は出会ったら、スマイルとともに名前を言って握手しなければならない。
 そんな高レベルの社交術、おれには無理だ。でも、やらないとミハイルの顔をつぶす。


3月18日 巴〔犬・未出〕

「やあ」

 だが、ミハイルは歩みを止めなかった。おれをうながし、さっさと歩いた。
 相手は追いすがり、

「あ、ちょっと話が」

「今はダメだ」

(……)

 紹介イベントはなかった。よかった。おれはよかったが、いいのかしら。
 欧米人は本当にノーをはっきり言う。ああいう言い方、おれなら三日立ち直れない。

「中庭は人が多い」

 ミハイルは言った。

「いろんなやつがいる。一応、ケンカとレイプは禁止されているが、ぼくから離れるな」

「……」

 ねえ。それ先に言うべきじゃないの? 例えば家を出る時に?


3月19日 巴〔犬・未出〕

 ショッピングモールのような廊下を歩き、青空の開けた中庭に出た。聴きなれた音楽が鳴り響き、一角に群衆が集まって揺れている。

「……」

 おれは首をかしげた。この曲、マイケル・ジャクソン先生のビートイットですよね? 
 おれの戸惑いにかまわず、ミハイルは群衆のほうへ行く。

 あれ? ダンスバトルってヒップホップじゃないのか。こわい黒人の兄さんたちが、路上でかわりばんこにステップ踏んで、てめーぶっ殺すぜYOとか煽って、たまにホントに殺し合っちゃう。あれじゃないの?


3月20日 巴〔犬・未出〕

 客は総じて背が高い。イスに乗ってやっと踊り手が見えた。

「……!」

 おれは口を開いた。自分の眉間に鋭くシワが寄るのがわかった。

 どいつもこいつも、モデルみたいに手足長い。みんな美形だった。
 なのに全員ドヘタ。

 軸がブレブレだ。町内会の盆踊りより統制がとれていない。いや、練習してないでしょ。おまえら、マイケルってこんなって小学生なみの雑なまねっこで踊ってるだけでしょ。

「……」

 おれはミハイルを見た。

「ダンスバトル?」

 ミハイルはうなずいた。
 ……そ、そっか。


3月21日 巴〔犬・未出〕

 つまりこれは、身内のお楽しみ会のようなゆるいものらしい。
 観衆のなごやかさもそんな感じだ。

(なんだ)

 流血沙汰にはなりそうもないが、ちょっと気がぬけた。

(どのへんがバトルなんだ?)

 よく見ると、踊ってる連中は赤か青のスカーフをからだのどこかにつけていた。

「トモエ、よく来たね」

 ふりむくと、不気味なガイ・フォークスの白い面があった。

「……」

 面をとると、アルだった。

「投票にご協力を」

 彼のそばにはふたりのハンサムな青年が微笑んでいた。

「あと、チームわけのクジを引いて」


3月22日 巴〔犬・未出〕

 わけのわからぬまま、差し出された箱からカラーボールをとる。

「青チームだね。青チームが勝ったら、賞品もらえるからね」

 ミハイルは赤いボールを出した。

「はい、赤。これつけて」

 アルはおれたちに用紙とそれぞれのカラーのスカーフを渡した。

「点数は一曲につき、最高三点。気に入ったチームに好きな点数いれてくれ」

 用紙には曲名と赤・青のチーム欄があるだけだった。
 アルが言った。

「踊りたくなったら、スカーフつけて出てくれ。ミハイルはとくに。赤チームの踊り手が少ないんだ」


3月23日  巴〔犬・未出〕

 ミハイルは言下にノーと言った。

「踊れない。社交ダンスぐらいしか習ったことがない」

「あとで美しく青きドナウあるよ」

(すげえな。ダンスバトル)

「いやだ」

「無理強いはしない。気がむいたら」

 アルはガイ・フォークスの面をはずしてミハイルの頭につけた。

「これつけると恥ずかしくない」

「おどらない」

 ハイハイと三人は去った。ミハイルは鼻を鳴らした。「やる」とおれに面をくれた。

 おれはありがたく受け取った。面をつけると確かに恥ずかしさが半分になる。息がしやすくなった。


3月24日 巴〔犬・未出〕

(あ、この曲か)

 ヘタが当たり前の群舞でも楽しめるものだ。

 とにかくみんな好き放題踊る。リズムに乗らなくてもおかまいなし。ゴリラのマスクをかぶったり、白鳥の湖みたいなふりつけをして笑いをとるやつもいる。

(あ、あいつはうまい)

 踊りなれているやつには、やっぱり目が吸いついてしまう。リズムがからだになじんでいる。
 黒人勢はやはり総じてノリがいいが、ラテン系も神がかっている。玉石混交。
 おれは我知らず、足で拍子をとりながら、ダンスに見入っていた。


3月25日  巴〔犬・未出〕

「面、取れば?」

 休憩時間、ミハイルはおれにハンバーガーをご馳走してくれた。
 おれは喰うときだけ、面をもちあげて食べた。

(サンバいいなあ。ラテンかっこよすぎ。あの曲なんて言うんだろ)

 曲のジャンルは節操なくさまざまあった。民謡っぽいの、いにしえのロックやら、有名なポップス。

 有名なやつは観衆がいっしょに歌いだす。おれも面のなかでこっそり歌っていた。

(お楽しみ曲ってなんだろ)

 おれは午後の曲目を見てワクワクしていた。ああ。ああ! なんかちょっと踊りたい!


3月26日 巴〔犬・未出〕

 午後の部が開始すると、おれは真っ先に前のほうに陣取った。

「トモエ、離れるな」

 ミハイルが叱ったが、曲がはじまった。うえーい! 行くぜベイベー。

「おい。踊りたいのか」

 おれは首を横に振った。

「踊りたいなら、好きに混ざれ」

 いや、踊りません。そんなそんな。
 でも、足がひょこひょこ動いてしまう。腰がふわふわ跳ねてしまう。エイトカウント刻みに、からだが揺れる。ステップを踏む。

「踊りたいなら、入れよ」

 いやどす。おれは首を横に振った。でも、リズムにのってうなずいてもいた。


3月27日 巴〔犬・未出〕

 正直、踊りたくて踊りたくて、からだが転がり出そうだった。

(お面かぶってるし、いけるんじゃね? これ無礼講みたいだし、みんなに紛れて、ちょろっとだけ。ね、どうしよ)

 ミハイルをチラと見たが、彼は気づかずダンスを見ている。おれはジタバタした。
 うああ。こんな時、少年マンガなら、おせっかいな美少女が手をひっぱって踊りの輪に連れてってくれるのに! うわああ。この曲踊りたい。

 ミハイル、いっしょに行こうよーー!! ねえほら、まわりの皆さんもごいっしょに!!


3月28日 巴〔犬・未出〕

 アルがまた隣に来ていた。

「ミハイル、踊ってよ」

 彼はまたプーさんの面をつけていた。

「頭数だ。ヘタでいいんだからさ」

「踊れないって」

 そう言ったが、ミハイルもさっきより声がやさしかった。アルはまた面を渡した。

「これあげるから」

「……できないよ」

 おれはとなりでやきもきした。こんな立派な体して、何ウジウジ言ってんだ。踊るんだ。パッションのままに! で、おれもつれてって! 

 その時、雷に打たれた思いがした。

(こ、この前奏! これは!)

 ボカロのECHOではないかー!


3月29日 巴〔犬・未出〕

 大好きな曲だった。踊れる。多大な自信があった。

 おれは同時に勝負をつきつけられたように思った。
 これは運命に、踊れ、と言われている。人前に出ろ、と。

(ミハイル……)

 ミハイルはあいかわらず観客の位置から動かない。

(……)

 ボカロはここではあまり有名じゃないのか踊り手は少なかった。たった三人。ハードル高すぎだ。

(だめだ。無理)

 こんな少ない人数で、人前で踊るなんてできない。

(あああ!)

 おれは突如、歯をくいしばって出て行った。踊りだしていた。
 三人とも下手すぎだー!


3月30日 巴〔犬・未出〕

 仮面のなかで泣きそうだった。

 みんなが見ている。あきれている。ガイ・フォークス出ちゃったよ。浮かれすぎだよ。飛んだお祭り野郎だよ。

 でも、おれは踊った。踊れるし、踊る人いなかったし、ミクかわいそうだし、いや、とにかく踊りたかったから! 

 さっきから踊りたかったから! おれも混ざりたかったから! 

 これまで、ずっとひとりで踊ってきて、どこかで思っていた。いつか人前でカッコよく踊ってみたい。動画の踊り手たちみたいに、すごいって言われたい。


3月31日 巴〔犬・未出〕

 曲が終わった時、おれはミハイルめがけて突っ込んだ。彼の肩に面ごと顔をぶつけた。何度も。

「クールだったよ」

 ミハイルが笑って肩を叩いてくれた。顔が灼け、わけのわからない涙が出た。一生分の勇気を使い果たした。まわりがやけににぎやかだった。

「ほら」

 ミハイルにうながされてふりむくと、笑顔がいくつも見えた。拍手していた。親指たてているやつもいた。

(……)

 おれは身悶えた。どうしていいかわからず、へこへこお辞儀した。


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